45歳から神職になった男・神職社長 川辺徹の本気ブログ品川神社、例大祭
神職、神主、品川神社

品川神社例大祭2014

中学二年生から神主に憧れ、六十歳になったら神職になろうと計画してきました。それが、結婚式・神前式のお手伝いをすることになり、予定より15年も早く神社庁より権正階と言う位を頂きました。私は、神道を宗教としてでなく、日本の美しい文化、生活習慣、作法と伝統として また日本人が自然と共存し、神を感じ感謝し、怖れそして祀り、生きていく美しさを世界に発信したい。
 神社や神道を勉強したい一般の方に、一般の方の目線に立ち、ご紹介できる立場になりたいと思います。
普段の生活において、手を合わせ、感謝できる時間と空間を持つことが、人間としての成長につながり、良きご縁を頂けることだと思います。!

大阪・天満橋、東京・新宿にある結婚式場ブレスアスオール。
その東京を運営する株式会社BUAホールディングスの代表取締役 川辺徹です。

当式場はチャペル式の結婚式場をメインでお手伝いしてまいりましたが、近年、見直され徐々に増えてきている、
日本式の結婚式「和婚」に触れるうち、この素晴らしい伝統的な結婚式を絶やしてはならない、
それどころかより多くの方々に「和婚」の良さを知ってもらいたいと思うようになりました。

東京では品川神社、居木神社、芝大神宮、赤坂氷川神社、湯島天神、赤坂豊川稲荷などでの結婚式をお手伝いし、大阪では御霊神社や大阪城内にある豊国神社での撮影などもお手伝いしております。

そして平成20年、品川神社の宮司との出会いが転機となります。
「そんなに熱い思いがあるなら、神職になれば」
という宮司の言葉に触発され、平成23年に大阪國學院の受験。
平成25年4月卒業を迎え、45歳にして神職となりました。

このブログ、祝詞を通し多くの方々へ
自分の運命を決める仕事、友人、恋愛、等の縁を結ぶ想いをお届けできればと考えています。

平成26年7月27日(日曜日) 
12時40分 受付
13時より15時まで

JR浜松町、地下鉄大門駅近く、芝の増上寺横にある
芝東照宮において、
 良縁祈願参拝 & 祝詞セミナーを行います

私は、祝詞担当となります。
是非、毎日の生活のほんの10分、祝詞をあげて
清らかな心を作る時間を持ちませんか?
そのための、入門講座を年4回行います。

お気軽にご参加ください!!
お待ちしております。

「和をもって貴しとなす」、神道と仏教が上手く共存できる国、日本の源流。

 
先日、「日本がもっと好きになる」      
という小冊子を頂きました。
それを読んでいく中で、
「本当に素晴らしい国、日本」
「その誇り高く生きた日本人の歴史」
を改めて感じ入りました。
これらを伝えるのは、我々の使命
だと、さらに気持ちが強くなった。

日本の神話、縄文時代の日本人の
生き方、などを勉強していくと、
日本人は、自然との共生の中で
育まれた感謝の心を持っている。
日本人は、自然を征服するという
考えでなく、自然と対話をし、豊富な
海の幸、山の幸に感謝しつつ、それ
らを上手に頂きながら暮らしてきた。

これは、まさに、聖徳太子の
「和をもって貴しと為す、
忤(さか)らふこと無き
を宗と為す」    
          
というと言う、国家の道徳規範である
十七条憲法の第一条に記されたこの
言葉があてはまる。

「和の精神」を大切にする日本人を知る
為に、今日は、聖徳太子について、
太子が行ってきた沢山の事を、まとめて
みた。日本においての神道と仏教の
共存の歴史がここにあることがわかる。

太子の生まれた背景を見ると、日本に
仏教が伝来した頃であり、その仏教を
巡り対立が深まっていた。

大和朝廷においての
軍事、宗教を司った物部氏は神道
を重んじ、
財政管理を担当し、渡来人を積極的に保護し、天皇家(大王)と密接な婚姻関係を
築く蘇我氏は、仏教を推進した
。この物部氏と蘇我氏の対立している中、蘇我馬子
の姪・穴穂部間人皇女と橘豊日皇子(後の用明天皇)の長子として生を受ける。

太子は、推古天皇の摂政として大活躍する。冠位十二階を定め、家柄や身分より個人
の能力を重視した人材登用を行う。これは、天皇を頂点とした中央集権化になる。
十二冠位は、
儒教思想があり、「仁、礼、信、義、智」とそれを包括する「徳」を最上位

し、「大」、「小」を設けて十二段階とした。

十七条憲法は仏教思想を根底にすえ、
上下の秩序の遵守を旨とする儒教思想
や、
信賞必罰を旨とする法家思想
などを取り入れて作成された。天皇を頂点とし、官と民
が互いの領域を越えず、一丸となって誠意と精励を尽くすという、仏国浄土的な
理想国家が描かれている。

また、太子は新しい国造りのために、中国の隋に遣隋使を派遣し、進んだ制度や文化
を導入した。その際
、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」
(日が昇る国の天子から、日が沈む国の天子にあてて手紙を送ります。ご無事で
おすごしですか)
という手紙を皇帝の煬帝に送っている。 そこには小国として、大国に
学ぶべきことは学ぶ姿勢をとりながらも、独立国としては中国とは対等であるという
気概が込められていた。

610年2月1日、推古天皇の神衹祭祀の詔を発布。
「群臣とも一致団結して我国の神々を祀るべし」と皇族、群臣に対して、日本固有の
神々を祀ることを義務ずけた。

神道と仏教が共存しながら今日にいたる源流ともなる
基本形をつくったのが聖徳太子だった。

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