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老舗好調企業を譲渡した経営者の体験談

老舗企業を譲った経営者の体験談発表

   - 友好的M&A我が社の場合 株式会社 向井珍味堂(元)代表取締役 中尾敏彦氏

 

●中尾敏彦さん - とても穏やかな紳士です。15年ほど前から 私、たかしまよしおは、

 お付き合いを させて頂いていますが、うつ病一歩手前までの状態でいらしたとは存じま

 せんでした。昭和30年、大阪の お生まれ、天王寺高校から京都大学工学部に進まれて、

 その後大手の商社に就職されましたが…。

 

 中尾さんのご経験、経営者の方には特にお読み頂きたく思います。

 

今、健康も戻され、家庭内も穏やかとのことです。

 

○祖父が創業した会社を40歳台半ばで承継

 弊社の社名から酒の肴になる乾き物を想像される方も多い。しかし、向井珍味堂は唐辛子、

きな粉、青のりを主力商品とする食品メーカー。関西圏に流通しているきな粉の7割は弊社

の商品、またきな粉については毎年ある時期になるとハーゲン・ダッツ・アイスクリームの

期間限定商品にも使われている、

 

 

 さて、私の母方の祖母が昭和22年(1947年)にこの会社を創業した際、

「 他にはない珍しい味を開発する 」思いを社名にした。そのまま経営理念であり、私の父

の代になってからも同業他社との差別化・異質化を図りつつ、素材から製法までこだわり、

個性的な味を追求してきている。

 

 

 大学で化学を専攻していた私、実は自社を継ぐ気は全くなかった。幼少の頃から手伝って

いた家業は古臭くて狭い世界と感じていて、何より親の敷いたレールの上を進むこと自体

想像もしたくなかった。

 

 大学卒業後に就職したのは有名な商社。事業内容が面白く、利益率も高い優良企業。し

かし、業績向上のために積極的に私が提案しても当時の私の上司は上層部のご機嫌・都合

ばかりを伺うばかり。加えて先輩たちが激務ゆえに次々健康を害し、組織の歯車として使い

捨てされている様子をつぶさに見せられ続けた。

 

 毎日深夜までの残業は当然で 先輩達からのたびたびの宴の誘いも断れず、十二指腸潰瘍

にもなった。そんな日常と父の健康状態から向井珍味堂へ転じることを決めた。27歳だった。

 

 別の会社(大手商社)に勤めていたことで 向井珍味堂が、四万十川産の希少な青のりを

扱うなど 他社にない商品開発を重視する独自性に魅力を覚えるようになったのも転職した

理由だ。

 

 しかし、入社したものの父は職人気質で営業力に乏しく、組織は番頭と丁稚で構成され

る前時代的なものだった。私が営業活動をしようとしても父からそんなことは不要だと言

われ、このままではこの会社に未来はないと思った。

 

 そこで私は時代にマッチする新しい主力製品の開発に力を注いだが、入社後10年ほど

経った時に父が難病を患って下半身不随になった。その後17年の間、自宅で介護をした。

 

 私の向井珍味堂入社前に、母が亡くなったこともあり、「人間はいつどうなるか分から

ない。 悔いのないよう自分の思うように生きよう」と考えるようになっていた。そうした

開き直りが影響したのか、 会社の業績は次第に良くなり、貯穀害虫の卵を死滅させる方法を

考案して、特許取得にも成功した。

 

 父が病に伏せてから陣頭指揮を執っていた私だが、社長になったのは44歳の時。私には、

娘1人がいるだけで、「人間いつどうなるか分からない」と言う漠然とした思いは、やがて

「将来この会社を誰が引き継ぐのだろうか」と言う具体的な不安に変わっていった。

 

〇日本で急増する後継者不在の会社

 事業承継のことをきちんと知っておこうと思った私は、大阪商工会議所 中小企業基盤整

備機構 大手銀行のシンクタンクが主催するセミナーに出来る限り参加した。中小企業家同

友会で社員に事業承継した経営者の実例を聞いたりもした。

 

 また会計事務所に自社の価値を調査してもらい、私の事業承継への意識は高まった。

 

 「親族」「従業員」「第三者」のいずれかが承継することになり、それぞれに長短がある。

株式上場と廃業も選択肢としてはあるが、上場の可能性はなく、懸命に毎日働いてくれてい

る従業員を困らせる廃業は論外と考えた。

 

 いつ誰に承継することになるかは分からないが、「ぜひ経営を引き受けたい」と思われる

魅力的な会社、俗っぽい言い方をすると「売れる会社」にする必要があると思い、利益率を

上げ、自己資本を蓄積、財務体質の強化に取り組んだ。おかげで無借金会社にして、40%

だった自己資本比率を80%近くまで高めることができた。

 

 そんな多忙な毎日を送ったことによるストレスから体調を崩し、うつ症状になったのは

56歳の時。それまでの私の経営は、下りのエスカレーターを逆行して上がろうとしているよう

なものだった。

 

   懸命に足を動かしているのだが、時々しんどくなって休憩するとあっという間に階下に逆

戻りする。 私が父のように突然倒れて経営者不在になれば、会社はたちまちガタガタになっ

てしまうだろう。しかし、社内には幹部社員が育ち、やる気のある若手も採用できている。

 

 社員の将来を考えた時、早いかもしれないが自分が60歳になるまでに後継者を見つけておく

必要があると思った。

 

 

 事業承継に向けて本格的に動き出そうとした頃、娘が大学を卒業した。事業を継ぐ気がな

ければ他人に会社を譲ることになると娘に伝えた。私と家内が苦労して経営しているのを見

てきた娘は、「承継など無理」と言って他社に就職した。

 

   他に会社を任せられそうな身内のなかった私は、30代後半~40代の3人の社員を候補

とし、その内の誰に譲るべきかを検討した。 コンサルタントを招いての合宿研修も行なって

適任者を探したが、現場を切り盛りする工場長や執行役員になる資質はあっても株式を取得

して会社のオーナーになるのは難しいと思えた。第三者のコンサルタントも同じ判断だった。

 

 無借金会社にすれば後継者が保証人にならずに済むと思い自己資本比率を高めてきたが、

株価が上がり、個人が株式を取得するためには借金をしなければならず、その意味でも社員

への承継は難しくなっていた。

 

 そんな時に思い出したのが、中堅・中小企業のM&Aの仲介を主業とするN社である。

20年以上前に異業種交流会で名刺交換をした人が、N社の社員で、当時はM&Aと言う概念

になじみがなかったが、不思議とずっと頭の片隅に残っていた。

 

 また私が社長に就任した直後に商工会議所で受けた事業承継セミナーもN社の講師による

ものだった。そして、この10年で経営を取り巻く環境が大きく変化し、後継者が見つから

ない企業が60%を超えており、M&Aによる承継が一般的になりつつあることを知った。

 

 古くからの得意先の番頭さんにそんな話をしようものなら「おじいさんの代からの会社を

売り払うのか!」と叱られそうにも思ったが、会社を存続させるための有効な手段の1つと

して、M&Aを前向きに捉えるようになった。

 

〇経営理念を受け継ぐ譲渡先を

 それまで2,000軒の実績を持っているN社。事業承継をM&Aで成功させた元・オーナ

ー経営者の実例をN社のセミナーで聞いて触発された私は、N社に具体的な相談をしようと

決めた。

 

 N社の担当者が弊社を訪れて来ての面談となったが、この時点では全幅の信頼を置いては

いなかった。相談に際しては秘密保持契約が結ばれるが、N社は一部上場企業で、こちらは

中小企業である。弁護士の助言を受けて秘密保持契約の一字一句にいちゃもんを付けて文言

を変えさせ、時間を稼いだ。

 

 会社の内情を洗いざらい伝えるのである。どんな出方をしてくるか、様子を見ていた。

当時の私は、体調が万全でなく、体力に自信が持てなかった。折しも東日本大震災が起こり、

こんな時にM&A等できるのか、とも思った。

 

 ちょうどそんな時、私のよく知る地元工業会の幹部が60代後半で亡くなった。その方の

経営する会社、業種は異なるがほぼ同規模。その方の奥さんが事業を承継されたが、しばら

くして自己破産されたと聞き、大きなショックを受けた。それからM&Aについてのさまざ

まなレポートを読み、N社の担当者と何度も面談し、熟慮重ねて第三者への譲渡を決断した。

 

 

 N社との契約後は、企業評価を受けるため、直近3期分の決算書を初めとする様々な提出

資料を命じられた。譲渡の計画は社員には当然秘密。資料作成は社員に任せられず、

家内と2人で行なった。

 

 査定の結果、弊社にある程度高い評価額が算定されたのは、次世代のためと思い、財務体

質を強化してきたからだった。しかし、私の目的は、高価格で会社を譲渡することではない。

譲渡の相手探しに当たっては、「 社員や既存の得意先を引き継いでもらう 」ことと「 他社

にない味を提供すると言う向井珍味堂の経営理念も受け継いでもらえること 」を強く望んだ。

 

 また、弊社の扱う大豆や唐辛子やゴマといった食品原料は価格変動が大きいので、そのこ

とも踏まえてもらわなければならない。私は譲渡先として懐の深いメーカーを希望したが、

建築関連のような弊社の事業とはあまりに隔たりのある異業種はNGとする一方、事業内容の

近い同業者もNGとした。更に 買った会社に付加価値を付けて高く売ろうとしているファン

ドへの譲渡もNGとした。要望ばかりを出していては相手も見つからないのではと思ったが、

N社から条件を満たす買収希望企業が数十社もリスト・アップされた時には驚きを隠せな

かった。

 

〇「見合い」にも似た候補先とのマッチング

 そこから更に十数社に絞り込んで、1社ずつ検討することになるのだが、早い段階で有力

な候補が2社現れた。最初の1社は弊社が製造した唐辛子を商社を通じて原料として仕入れ

てくれている会社で、知名度も高かった。その会社の経営者は、弊社をとても気に入って下

さり、話は順調に進んだのだが、その会社の取締会で海外展開優先の方針が打ち出されたこ

とから、見送られてしまった。

 

 

 続いて別の3社と交渉したが、まとまらず、あたかも4回連続で見合いに失敗したかの

ような寂しい気分を家内共々味わった。

 

 しかしながら、5社目に有望な企業を又紹介して頂けた。鹿児島に本社を置く飼料・製麺

会社のヒガシマルである。( ※醤油のメーカーではありません )クルマエビ養殖用配合

飼料や養魚用配合飼料の大手メーカーで「ヒガシフーズ」のブランドで即席麺や乾麺なども

製造。福岡証券取引所の上場企業で、当初から候補リストにあったが、先方が、他のM&A

案件を進めていたために交渉が先送りになっていたのである。

 

 

 売上規模は弊社の約10倍。弊社の工場を見学した社長、専務、部長は、弊社の生産管理

レベルを高く評価して下さった。そして、弊社の「他社にない味を開発する」と言う経営理

念を理解下さり、従業員・得意先・社名をそのまま受け継ぐと約束して下さった。私はその

理解と約束を頂けたことから「このヒガシマルさんにお譲りしたい」と思うようになった。

 

 

 ヒガシマルの社長、理系の方で考え方の根底に私と似たものを感じた。過去にもM&Aを

行なっているヒガシマルは、カレールーを製造する食品会社を子会社にしており、弊社の

香辛料を提供することで、経営の相乗効果も期待できた。上場企業なので管理体制が厳しい

のでは、とも思ったが、ヒガシマルには、どこかローカルな雰囲気があり、社長にも社員に

も家庭的な温かみがあったことも大きかった。又ヒガシマルの工場を見学した際、非常に丁

寧に案内してもらえたことが好印象で、気持ちがつながるような縁を感じた。

 

 

 交渉が進むとM&Aのヤマ場と言える買収監査が実施される。買収に向けた監査が社員に

漏れてはいけないので通常は使わない弊社の応接室に 大手監査法人のスタッフ(ヒガシマ

ルからの派遣)3名と N社の仲介担当者の計4名を招いた。

 

 2日掛けて行われた監査は、「好意的な税務調査」のようで書類の細部がチェックされ、

質問への私の回答を監査法人のスタッフがPCにどんどん入力していった。

 

 契約を結ぶ最終段階では、短い日数で弊社の株主に説明して株式を取りまとめ、株を持っ

ていた幹部社員にはM&Aの経緯を伝えた。ヒガシマルに赴いての最終面談も行なわれ、そ

の時期、半期決算が重なっていたこともあり、忙殺された。

 

 親族をはじめ11人が株主で、内5名が社員だった。社員には賞与支給時に+αとして株

を与え、退職時に額面で会社に売却すると言う約束で毎年配当を払っていたが、その株主に

は対価を支払った。株を持つ5人の社員には個々に呼び出して説明した。相手が上場会社な

ので、譲渡手続きが進んでいることが外部に漏れるとインサイダー疑惑になるため、かなり

神経を使った。そして2013年 7月末にM&Aが成立。契約書に実印を押したときは

「会社がこれで他人のものになるのか」と言う何とも言えない感慨に包まれた。

 

 

〇ポジティブな思いこそがM&Aを成功に導く

 全社員への通達について。ヒガシマルがM&A成立を正式に発表した直後に、社員を集

めて弊社内で通達を行なった。ヒガシマルの社長と新しい経営陣、そして私が順に挨拶と

説明をした時、何も聞かされていなかった社員たちはポカンとしていた。しかし、従来通

り雇用が維持され、私がしばらく会長職で留まることを聞いて安心したようだ。

 

 得意先へは私と新社長が2カ月かけて挨拶と ことの経緯の説明で回った。どの取引先

もこれまで通りに取引が続くなら と納得してくれ、ある取引先からは「中尾さんには息

子さんがいないから どうされるのか実は心配していた。承継が無事に決まって良かった!

」と言うお褒めのような言葉も頂いた。

 譲渡について非難するお得意先が一社もなかったのは本当に幸いだった。

 

 

 承継から2年半が過ぎた今も私は、会長兼顧問でいる。譲渡後 半年から1年で退くケー

スが一般的なようだが、特殊な唐辛子の契約栽培の指導や ベトナムでの製造管理のノウハ

ウの引き継ぎに時間が掛か =5= ることから、長めに会社に残っている。仕入れや営業に

ついては、以前から権限移譲を進めていたので問題は一切起きなかった。

 

 現在の会社は、かつて経営者候補と考えていた幹部社員が中心に運営し、ベテラン社員

たちも協力的だ。ヒガシマルからは譲渡の直後に社長と営業部長が着任し、2年後には、

営業部長が社長になった。

 

 

 経理・財務については、ヒガシマルの本社管理部から課長が時々来て指導をしている。

 幹部社員たちが自主性を持ちながらも親会社とうまく擦り合わせをして経営を行なって

いるので、売上もアップした。

 

 ヒガシマルの関連企業である稚魚の養殖会社が、弊社の主力商品の1つである青のりを

陸上で養殖する研究を進めるなど、技術革新も進められている。何より嬉しく思うのは、譲

渡後の社員に自己責任の意識が芽生えたことで、譲渡後に社員だが、身内の事情による1人

を除いて誰も退職していない。

 

 

 M&Aで事業承継をスムーズに進めるために最も重要なのは、早くから準備に着手する

ことだ。親族や社員に適任者がいないからというネガティブな理由ではなく、社員の雇用

を守り、会社の発展を促したいと言う積極的な思いで取り組むことだ。

 

 

 買収する側には、本社の余剰人員の受け皿にすると言う考え方でなく、自社にない強み

を補うと言う姿勢で臨んでもらいたい。

 

 永続は会社にとっての使命であり、次世代に承継するのが経営者の最後の仕事となる。か

つて商社勤務をしていた私としては新規開拓の精神が沁みこんでいるが、この人生で果たし

た最大の「新規開拓」は、自社を理想的な企業に買ってもらったことだと思っている。

                                      (了)

 

※2016年 3月に大阪で行われた中尾敏彦氏の講演の要旨です。その旨、ご了承ください。

 

 

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