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- ☆田中朋秋先生のブログ☆
- 投稿日:2013/04/14
くらしの仏教語No.1 「諦め」は積極的決断!?
こんにちは、神戸西宮活性リンパマッサージの田中朋秋です。
よく私たちは、思い通りにならない事をくよくよ考えるのを止め
そのことを断念する時、
「諦めたわぁ~」 といいますね。
『諦め』という言葉も元は仏教語だったんですよ~
普段、『諦めた』という言葉を使う時は
「しぶしぶ」や「しかたないから」などの言葉が前につくことが多く、
あまり前向きなニュアンスで使われることはないかな~
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仏教語での、『諦め(あきらめ)』は
もっと積極的な力強い言葉だったようです。
お釈迦さまの悟りの教えのなかに、
『四諦(したい)』の教えというのもがあります。
お釈迦様はその悟りの内容を
苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)の
四つの心理に分けて教え、それを見ることによって
真理を知ることができると説かれました。
『諦』とは、「まこと」とか「真理」という意味で、
動詞として読むときには、「あきら める」、
すなわち、「明らかに真実をみる」という意味なのです。
なので、『諦』という語は現代のように消極的な使い方ではなく、
真理を悟るという力強い語なのです。
しかし、そのとき、
「自分一人の力ではどうにもならないことを悟る。」のが、
本来の意味かもしれませんね。
(くらしの仏教語豆辞典 by辻本敬順)
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へ~、そうなんですね。
自分一人の力ではどうにもならないってことは、
つまり、「 自分の思い通りにならないこと 」を悟るってことが
諦めるってことなんかなぁ~
そう考えると、『諦めた』ってことは悟ったってことやねんから
後悔なんかする必要は全然ないってことやね~ (*^_^*)