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くらしの仏教語No.1 「諦め」は積極的決断!?

 こんにちは、神戸西宮活性リンパマッサージの田中朋秋です。


 よく私たちは、思い通りにならない事をくよくよ考えるのを止め


 そのことを断念する時、


  「諦めたわぁ~」 といいますね。


 『諦め』という言葉も元は仏教語だったんですよ~


 普段、『諦めた』という言葉を使う時は


 「しぶしぶ」や「しかたないから」などの言葉が前につくことが多く、


 あまり前向きなニュアンスで使われることはないかな~ 


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 仏教語での、『諦め(あきらめ)』は


 もっと積極的な力強い言葉だったようです。


 お釈迦さまの悟りの教えのなかに、


 『四諦(したい)』の教えというのもがあります。


 お釈迦様はその悟りの内容を


 苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)の


 四つの心理に分けて教え、それを見ることによって


 真理を知ることができると説かれました。

 

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 『諦』とは、「まこと」とか「真理」という意味で、


 動詞として読むときには、「あきら める」、


 すなわち、「明らかに真実をみる」という意味なのです。


 なので、『諦』という語は現代のように消極的な使い方ではなく、


 真理を悟るという力強い語なのです。


 しかし、そのとき、


  「自分一人の力ではどうにもならないことを悟る。」のが、


 本来の意味かもしれませんね。


          (くらしの仏教語豆辞典 by辻本敬順)


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 へ~、そうなんですね。


 自分一人の力ではどうにもならないってことは、


 つまり、「 自分の思い通りにならないこと 」を悟るってことが


 諦めるってことなんかなぁ~


 そう考えると、『諦めた』ってことは悟ったってことやねんから


 後悔なんかする必要は全然ないってことやね~ (*^_^*)

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