45歳から神職になった男・神職社長 川辺徹の本気ブログ品川神社、例大祭
神職、神主、品川神社

品川神社例大祭2014

中学二年生から神主に憧れ、六十歳になったら神職になろうと計画してきました。それが、結婚式・神前式のお手伝いをすることになり、予定より15年も早く神社庁より権正階と言う位を頂きました。私は、神道を宗教としてでなく、日本の美しい文化、生活習慣、作法と伝統として また日本人が自然と共存し、神を感じ感謝し、怖れそして祀り、生きていく美しさを世界に発信したい。
 神社や神道を勉強したい一般の方に、一般の方の目線に立ち、ご紹介できる立場になりたいと思います。
普段の生活において、手を合わせ、感謝できる時間と空間を持つことが、人間としての成長につながり、良きご縁を頂けることだと思います。!

大阪・天満橋、東京・新宿にある結婚式場ブレスアスオール。
その東京を運営する株式会社BUAホールディングスの代表取締役 川辺徹です。

当式場はチャペル式の結婚式場をメインでお手伝いしてまいりましたが、近年、見直され徐々に増えてきている、
日本式の結婚式「和婚」に触れるうち、この素晴らしい伝統的な結婚式を絶やしてはならない、
それどころかより多くの方々に「和婚」の良さを知ってもらいたいと思うようになりました。

東京では品川神社、居木神社、芝大神宮、赤坂氷川神社、湯島天神、赤坂豊川稲荷などでの結婚式をお手伝いし、大阪では御霊神社や大阪城内にある豊国神社での撮影などもお手伝いしております。

そして平成20年、品川神社の宮司との出会いが転機となります。
「そんなに熱い思いがあるなら、神職になれば」
という宮司の言葉に触発され、平成23年に大阪國學院の受験。
平成25年4月卒業を迎え、45歳にして神職となりました。

このブログ、祝詞を通し多くの方々へ
自分の運命を決める仕事、友人、恋愛、等の縁を結ぶ想いをお届けできればと考えています。

平成26年7月27日(日曜日) 
12時40分 受付
13時より15時まで

JR浜松町、地下鉄大門駅近く、芝の増上寺横にある
芝東照宮において、
 良縁祈願参拝 & 祝詞セミナーを行います

私は、祝詞担当となります。
是非、毎日の生活のほんの10分、祝詞をあげて
清らかな心を作る時間を持ちませんか?
そのための、入門講座を年4回行います。

お気軽にご参加ください!!
お待ちしております。
せんぐう館で感動した、染色
 
先般、品川神社で伊勢神宮参拝に   
伺った際に、外宮の入口横にある、
せんぐう館で感動した、神宝に使わ
れている、染色について、書きます。

式年遷宮において、神様のご社殿
始め、宇治橋から神宝もすべて、
新しくされる中で、日本人の伝統
工芸が、伝承されている
染色、組、木工、漆工、金工など
その中でも、染色にとても文化の
深さを感じた。
古代から染料として様々な植物
から抽出した天然色素とても色
鮮やかでした。植物由来の染料が       
最も種類としては多く、アカネ、
アイ、ウコン、ベニバナ、ムラサキ
(紫根)などがある。
日本茜の鮮やかな色は、日本!
と感じた、その植物染料は、
調べてみると、根を使って染料
を作っていると知りびっくりした。

これらの染料を使い作られた
御装束は、また見事である。

御装束とは神様の着物(御衣、御裳、帯、比礼だどの装束)をはじめ、
新正殿内を飾る絹の布御神体をお納めする神座を被う絹の襖類のほか、
遷御で用いられる品々、蓋(きぬがさ)や御神体を囲む絹垣(きんがい)
なども含まれる。

これら絹を染色する技術、日本古来の技術に感動をした。

私の実家の方でも、ウエディングドレスの特にカラードレスについては、
染色をしている。鍋に染料を焚いて、そこに生地を漬け込み、手で染める
のを見ていて、とても感動を、物作りの感動を覚えるのである、

今後とも遷宮と言う形、20年という時間での継承をずっと続けて
行ける国でありたい。

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太一、この言葉を先日の品川神社での   
伊勢参拝の折に、出会いました。
なるほど、伊勢のお白石持ちの際にも
目に入っていたように感じるのに、あま
り気にも留めていませんでした。
それを、伊勢神宮へ行く際のバスの中
において、品川神社での切れ者〇っ子
さんより質問を受けて、ええ??
何かな?と遷宮のお手伝いという
特別な役割は、神領民や、特別神領
民と呼ぶのですが、その地域の名前
かな?と自分なりに理解していたのが
間違いでした!!

太一(たいいつ)とは、もの   すごく意味深い大切な言葉
でした。調べてみると、神宮式年
造営庁造営課に所属する人の作業
服は一年を通じて白装束で、白い
帽子やヘルメットの正面には「太一」
という徽章がついているとのこと。
昔は造営にかかわる人の法被や檜笠
などにも「大一」や「太一」の印がつき、
神宮の造営のシンボルマークとされた
そうです。
「太一」は、神饌や遷宮用材を運搬
する際の幟や、伊雑宮(いぞうぐう)
のお田植え神事の団扇にも書かれ、        
昔から広く神宮のマークとされてきた
とのこと。これまで太一と大一は混合し
明治四年の神宮改正以前は主として
「太一」と記され、大神宮の「大」
の字も太だった。
それが明治五年に太政官布達に
より「大」と改められました。 
「大」は、人間の正面の形で、おお
きい、さかん、すぐれることを意味
する。 「太」は、ふとい、おおきい、
物のはじめ、おおもと、高い尊称に
用い、大も太も区別なく用いていま
したが、大の上に頭を示す〇を加え
て天という字ができ、太の点を上につけても天になり、「大一」も天の意になるのです

古代中国には「太一神」があり、天と地のすべての最高神とされていました。
「荘子」には、太は至高を、一は唯一・根元を表す語。太一から始まって太一、
両儀、陰陽、万物という宇宙生成論を唱えた。太一、水、天、地、神明、陰陽、
四時、倉熱、湿燥、歳という生成論が見られる「太一は万有を包含
する大道で、天地創造の混沌たる元気をいう」とあり、
『礼記』には、「天地の本なり」としている。また天之尊神、北極星、
天帝とされ、「太一陰陽五行」の思想が生じるが、おそらく奈良時代に
この中国の思想が入ってきた時、これはわが国の
天照大神と同じだと感じ、「太一」を神宮の印とした
ようである

これは明治22年の第57回式年遷宮から正式に造営のシンボルマークと制定
されましたが、「太一」は外来思想だとの意見もあり、明治以降は「大一」に
されていたのを、今回からまた古くからの由緒を大事にし「太一」を用いることに
したとのことです。

「太一」と言う言葉には、本当に深い考えと、思想、思い
があり、今回の伊勢参拝は、沢山の事を学びました。

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昨日、品川神社の氏子総代の行事  
で、遷宮後の外宮において古殿地
拝観という、遷宮により新しくなった
ご社殿の横にある古いご社殿の中
を拝観する行事に参加させて頂き
ました。

その移動バスの中で見た、遷宮紹介
ビデオですごく心に刺さった感動
のシーンがありました!
                               
それは、
「日本人の感謝する心」            
です。

ビデオの中で、遷宮の為に、新しく
ご社殿を建てる神事、「御杣始祭」が、
紹介されていました。長野県木曽郡
上松町の木曾谷国有林で、厳かに
斎行され、祭典に続いて、皇大神宮、
豊受大神宮の御神体をお納めする
御樋代(みひしろ)を奉製は、古式
に則り斧で伐採されました。

伐採された後、杣夫(そまふ:
きこりの方)が、皆さん、ヘル
メットを脱いで、斧を置き、
切り倒した巨木の梢を取り、
切り株の真ん中に梢を挿して、        
手を合わしているシーン

そのシーンを見たときに、感動で胸が震え
ました。日本人は、これだ!と思いました。
大きな木を切り倒し、その根を残し、切り
倒した巨木から、梢をとり、切り株に挿す。
ヘルメットを取って、手を合わせるのです。
遷宮のご社殿に木の中の部分は、使わせ
頂きます、根を残しますので、また、大きく
成長して下さい。ありがとうございます。
と祈りを込めていると思います。

感謝、自然に感謝して、人間は生か
せて貰っているのだと思います。
植物、野菜、果物、肉、魚、水、お米
すべてに、感謝をして、命を貰い、
「いただきます。」と感謝を述べて、生かさ
れているのだと思います。
本当に、感動しました。

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 人を導く根本は、「斉家」にある。この言葉は、『大学』を
読んでいて、すごく心に残った言葉。
「所謂其の家を斉(ととの)うるには、其の身を
修(おさ)むるに在り」とあります。

『大学』における、「家」とは、現代の我々のような核家族ではなく、何代もが一緒に
住んでいる家。一夫多妻制の時代の家でもあるので、使用人も含めると、
20人から50人には、共同生活をしている、その家のことである。
その状況下で、自分の家をととのえるというのは、なかなか難しい

自分の家を斉(ととの)えるためには、まず自分の身を修めるところから。そのためには、
「人其の親愛する所において辟(へき)す」
人は特に親しみ愛するというところにおいて偏っていく。家族というものは
偏ってはいかん。ある者を特別に親しみ愛するというふうにしてはいけない。
「其の賤悪(せんお)する所において辟(へき)す」
特に卑しんだり憎んだりすると偏ってしまい、正しくすることはできない。
「其の畏敬(いけい)する所において辟(へき)す」
特別に畏れ敬ったりすると、また偏ってくる
「其の哀矜(あいきょう)する所において辟(へき)す」
特に悲しみ哀れんだりすると、また偏ってくる
「其の敖惰(ごうだ)する所において辟(へき)す」
特に奢(おご)りたかぶって怠けると、これも偏ってくる
「故に好みて其の悪しきを知り、悪みてその美を
知る者は、天下に鮮(すく)なし」

故にその者を好んで、その欠点・短所という
ようなものを知り、また、その者を憎んで、
その美点・長所というようなものがわかる。
それをきちんとできる人は非常に天下に少ない。
「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」というわけで、一度憎んだら最後まで
憎むというのが、普通である。

「孝(こう)は君に事(つか)うるゆえんなり」
家の中で親に孝行していれうということは、そのことが即君に仕えるものとなる。
「弟(てい)は長に事(つか)うるゆえんなり」
弟や妹が兄や姉に従順であるということは、世の中に出たら位の上の者や年上
の者に仕えていくもとになる
「慈は衆(しゅう)を使うゆえんなり」
親が子供を慈しむ、兄や姉が妹や弟を慈しむ、そういうことが役人となって
民衆を使っていく心立ての根本となるということ。

家の中できちんとできるものは、社会に出てから
もきちんとできる。『大学』の家と言うのが、20人
から50人ならば、やはり中小企業と同じ規模。 
会社の中での社員教育というのが、問われている。
その教育の中において、社員一人一人の美点・長所
みれるように、偏りなく接していくように心がけたい。
それが出来るよう、自分自身の身を修める必要が
ある。それは、「仁」、相手を思い、譲り合う心が、
皆で力を合わせていこうという気風が起こる。

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庚申(こうしん)信仰は、昔からよく話は 
聞いていましたが、なかなか調べる時
を逃していたので、今日はその話。
昨日の神前式で訪れた、神奈川県
葉山の森戸神社の境内・末社さんに
猿田彦大神と庚申塔が、あったので、
私の大好きな猿田彦さんと「庚申」
どんなつながりか、、、

干支の庚申の日の夜に身を慎んで
徹夜すると長生きできるという信仰
その起源は中国の道教で説く三尸
(さんし)説にある。中国晋の時代
『抱朴子』には、人間の体内には三        
尸(上尸、中尸、下尸)という三匹の         
虫がおり、人間の早死を望んで、
庚申の日の夜、人が眠っている
間に天に昇り、人間の寿命をつかさ
どる天帝(道教の最高神、陰陽と
太極を司)にその人の日頃の罪
過を報告する。それによって、
天帝はその人を早死にさせて
しまうとある。そこで、徹夜して
これを避けることが説かれ、その
徹夜を守庚申(しゅこうしん)と
言う。

江戸時代に民間に普及した庚申
の夜の徹夜は、庚申待と呼ばれる
ようになり、庚申の画像を掲げて
真言や般若心経を唱えて祀った
あと、共食しながら夜を徹しての
歓談が行われた。
江戸時代は、干支の考えや易経、
陰陽道などの知識から、縁起を
かつぐのが、多くなる。五行で考
えると「丙午(ひのえうま)」は、丙=火、
午=火 と火が重なるのが、丙午の女性は強いと言われるゆえん。
「庚申」も「庚」が「金」、「申」も「金」だから金と金がぶつかれば火が
出るといわれ、非常に悪い年なのです。悪いから慎まなければなら
ないといわれています。

庚申の由来が、中国の道教から、伝わり、日本の歴史の中で、室町時代に
応仁の乱がおこり、京都の都から逃れてきた、公家や僧侶が関東に伝えた
とも言われています。

先ほどの「三尸神」は、「北斗七星」へそして仏教と神道の習合の時代
「山王権現」 ⇒ すると、「猿」 ⇒ 『猿田彦大神』

また、三尸神へは、「庚申経・道教医学」、これは、庚申縁起の仏教の思想が
入り、天帝が、帝釈天と習合する。習合から道祖神の考えから、「猿田彦大神」

毎年の御縁年思想から、富士山の信仰、コノハナサクヤヒメから、天孫降臨
そして「猿田彦大神」

この庚申信仰は、道教の影響を受けて日本に入り、仏教と神道の神様と
歴史上、習合され。「申」から猿田彦大神に転じていくのも面白い。
この庚申祝詞もある。 人々は、さまざまな伝説や言い伝え、そして
縁起をかつぐ、それはお祀り、お祭りにつながる。
大切に、後世に伝えて行きたいです。
平成26年の庚申の日は、
2月 18日、 4月 19日、6月 18日、8月 17日、
10月 16日、12月 15日になります。徹夜するか??
庚申祝詞は奏上することにしたいと思います。

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煎茶道を御存じですか?              この春の披露宴において、新郎様の      
お母様のご要望で、余興の時に、
煎茶道の貴人点前(きにんてまえ)
で、私が、高砂の息子娘に、お茶を
出したいのよ、、、」と言われ。

「お茶」の千家や裏千家と言われる
抹茶の茶道かと思ったら、煎茶道
と言うのがある事、今回初めて
知りました。

なかなかインターネットで検索しても
良い資料が出てこず、『煎茶道の
すすめ』と言う本を全日本煎茶道連盟から取り寄せて読んでみました。、

煎茶の始まりは、奈良時代、天平元年(729年)聖武天皇が僧たちに茶を
賜ったといわれています。その頃のお茶は、飲料としてよりも、薬用として飲まれ
たもののようです。
鎌倉時代に栄西禅師が、中国から茶の種を持ち帰り、当時の中国のお茶の飲み方
を伝えられた。 それまで、日本では茶の木の栽培は行われておらず、お茶の飲み方
も、煎じて飲んでいたのですが、栄西禅師によって、茶の種がもたらされて、広く茶の
栽培が行われ、飲み方も、茶の葉を粉にして飲む抹茶としての飲み方が普及するように
なりました。
鎌倉時代の三代将軍源実朝が、二日酔いに苦しむことが多かったとき、建保二年
(1214年)二月、お茶を飲むようにすすめられ、その効き目が大きく、お茶を飲む
風習が広まった
煎じ薬として飲む ⇒ 抹茶として飲む ⇒ 煎茶として飲む

江戸時代末期から、形式主義におちいり、規則にしばられるようになっていた
「茶の湯の世界」に批判的であった文人たちが、煎茶の世界に形式、礼法を定め
るこなく、自由な精神で広がった。やがて、煎茶にも一つの形式、流儀として煎茶
を楽しむ派と流儀にこだわらない煎茶派と二つの流れができる。
煎茶の歴史をみていると、お茶そのものの変化があります。
煎茶が生まれ、さらに玉露が生まれ、製茶技術も進んで、上質なお茶が作られる
ようになった、そうすると飲み方の流派は、各地にその土地の風習とも関連して
生み出されました。その中でも、日本に煎茶を広めた、『売茶翁』の顕彰から
始まった「高遊会」から、現在、全日本煎茶道連盟には、三十九流派が活動して
います。

お茶の知識
お茶の製法により分類できます。
不発酵茶―蒸し製緑茶(日本式)
        ・玉露 ・抹茶(碾茶)・煎茶・番茶
      ―釜炒り茶(中国式)
        ・嬉野茶・青柳茶
半発酵茶―・烏龍茶・包種茶
発酵茶――・紅茶
                        
玉露(ぎょくろ) 
覆下園(ふっかえん)、つまりおおいをした茶園でつまれた若い葉
からつくられる最高級のお茶。蒸気で手早く蒸され、揉みながら乾燥してつくられる。
針のように細くよられ、手揉みのものが最高級。
抹茶
玉露と同じく、覆下園のお茶で、蒸したあと揉まずに、そのまま乾燥させ、ひろ葉と
してつくられ、保存し、必要に応じて粉にする。粉にすると長持ちせずに、味も香りも
悪くなる。
煎茶
太陽光線をいっぱいに受けた茶園から摘まれた葉を蒸気で蒸して、揉捻しながら
乾燥するもの。玉露に比べてやや高温で処理される。飲まれるときも、高温の湯
で飲まれる
番茶
つみとられる時期によって、一番茶、二番茶といわれ、一番茶が上質のお茶と
なりますが、高級茶をつみとった後、古い葉とともに、刈り取られた葉でつくられる
お茶のことで、一番下級のお茶となります。しかし、番茶特有の風味も良く、
ほうじ茶などにすれば、味も、香りもよく、美味しいです。

毎朝、仏壇にお茶を添えますが、母が生前、薄い目にしてやーーと言われていた
ので、母は、薄いお茶が好きと思いながら、淹れているだけでした。
毎朝お茶を淹れているものの、温度や時間、湯の量など考えたこともなく
今回の結婚式の打ち合わせの際に、新郎母よりお話頂き、煎茶道というのが
存在すること、お茶が製法により色々と存在することを知りました。
本当に、日本人は、色んなことを日常の生活から工夫と使い方
そしてそこに、精神性、礼法、おもてなしの掛け軸や植物など規則をいれて、
作り上げていくのが、歴史を作り上げいくのが良い。
自然との共存共栄なのだと思う。

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直会(なおらい)をして欲しい!
前回1月に行いました、良縁祈願参拝
と祝詞勉強会の後のアンケート用紙に、
『次回は、直会をして欲しい』と言う
コメントを頂きました。
直会(なおらい)って言葉を御存じな
んだと言う驚きと、よし次回4月13日
勉強会は、「直会」を企画しようと決心
しました。

この直会って何でしょうか?『神道事典』
によると、祭における酒宴行事のこと。
一般には祭典終了後、神饌を下げて
それを戴く宴会と理解されているが、
直会は祭典を構成する一つの行事である
大祭式、中祭式、小祭式いずれの祭祀に
おいても直会行事を行うことが定められる。
 

称徳天皇の宣命に「今日は新嘗の猶良比     
(なおらい)の豊の明聞しめす日に在り」と
いう表現が見える。大嘗祭、新嘗祭の後に
「猶良比」が行われ、これが豊明節会(とよ
あかりのせちえ)と呼ばれ、ここで白酒・
黒酒を群臣に賜っている。
ナオライの「ナオル」と言う語は、直日神 
(なおひ)の直と関係があると考える説も
ある。すなわち神祭の終わった後、座を
かえて直日神を祭ることが本義で、神祭
における種々のあやまちを正す儀である
と解するのである。

ナホルは「食膳に向かって着座する」意
で、アフは「一同会する」意であるとする
説も出されている。                   

神饌には、古くから神の出現・降臨を願
い、神をもてなし、しばしば
神人共食つまり神と人が
共に食事をするというのが
日本の祭りの特徴とされる。

酒、水、塩、穀類、草実、蔬菜類、鳥獣
魚介類など、人が採取し作りうる最高の
ものを、最上に飾り付けて備えられた
と考えられる。

日本人のこの直会の神人共食とも
相嘗とも言う考え方が、本当に美しい
と思う。
三三九度の儀の際、お酒が、神の
御魂が入り、御神酒(御魂酒オミキ)
になり、それを新郎新婦が戴くことに
より、見えない糸で縫い合わされる。
契りが結ばれる。神の恩?(みたまの
ふゆ)を戴く。この考え方がとても
日本人は、神々と一緒に共に、
生きてきたんだなーーとご先祖からの
考え方に感動する時です。

直会やります!!平成26年4月13日、芝東照宮においての、良縁祈願参拝と
祝詞勉強会の後、近くのレストランにて行います。是非、参加してください。
今回は、伊勢内宮神前祝詞と稲荷大神秘文を勉強します。
いよいよ、天の神、地の神を味方につけて、運気をアップしていきます。
宜しくお願いいtします。

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ビリケンさんがやってきた!           

大阪人なら誰でも知っている
と言われたーーのですが、
45歳のこの大阪人は、知りま
せんでした。
大阪の南の象徴(昔は、)
通天閣の五階には、ビリケン
広場と言うのがあるらしいです。

「福の神」「縁結びの神」と
言われているビリケンさん。

ビリケン(BILLIKEN)の歴史は、
1908年(明治41年)アメリカの
女流美術家 フローレンス・プリッツ
という女性アーティストが、夢で見た
ユニークな神様をモデルに制作した
ものと伝えられています。
トンガリ頭につりあがった目という、
どこかしらユーモラスな姿は、
たちまち「幸福のマスコット」「福の神」としてアメリカを
始め世界中に大流行しました。日本でも花柳界などで
縁起物として愛されていました。世界的な流行を受けて、1912年(明治45年)
オープンした大阪の「新世界」の遊園地「ルナパーク(月の園)」では、
さっそく「ビリケン堂」を造りビリケンを安置。
これは大当たりし、新世界名物としてその名をとどろかせ、ビリケン饅頭や
ビリケン人形などのみやげ物まで作られました。また「福の神・ビリケン」を
七福神に加え、「八福神めぐり」なども流行したと伝えられています。

私の大好きでご好意にしている、お坊さんに、ビリケンさんが、呼んでるよ
と言われ、購入しました。 BUAの新宿店にお祀りしたいと思います。

ところで、名前の由来を調べると、ビリケンさんが誕生した、当時のアメリカ大統領
のウィリアム・ハワード・タフトのウィリアムの愛称「ビリー」に、小さいを表す
接尾語「-ken」を加えたのが名前の由来とされています。

ビリケンさんの足の裏を撫でて、笑うといいことがあるらしいです。

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「知・好・楽」と言う言葉を知って    
いますか?私は、すごく好きな言葉。
この言葉は、『論語』に出てくる
「子曰、知之者不如好之者、
好之者不如楽之者」から
きています。

「之を知るものは之を好むもの
に如かず。之を好むものは之を
楽しむものに如かず。」

つまり、
「知るということは大切
だけれども、それを好んで
やるのには及ばない。
好んでやるのはいいけれど、
楽しんで仕事をするのには及ばない。」

仕事をする時に、その仕事、職場には、縁を頂いて、天から与えられて、私は
今ここで、仕事をしていると天命を知り。感謝をして臨めば、楽しめるのでは
ないか?

なかなか、難しいことではあるが、、アスリートのインタビューを聞いていると
すっきりと笑顔の選手は、今の自分を出し切れました、楽しめました、
自分を信じて、望みました。と話をされている選手が多いです。

「人生無駄なし」と今の自分の足元をみて、
しっかりと楽しみながら、歩んで行きたいです。

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昔、小学校の片隅にあった、           
二宮尊徳の像は、よく見た像である。
山からマキを積んで隣町まで売り
行き、生活をした二宮尊徳は、
勉学をする時間を作るために、
マキを運んでいる時も勉強した
努力の人。やがて、国を豊かに
する農村復興政策を行い、
人々を豊かにし尊敬されている。

そんな二宮尊徳が手に持っている
本は、『大学』である。

『大学』と言う書物は、「大人」を作る本。
「小人」は、自分の為に生きる。
「大人」は、他人の為に生きる。
そんな『大学』のなかで、有名な個所が、『格物致知(かくぶつちち)』の出てくる所

「古(いにしえ)の明徳(めいとく)を天下に明らかにせんと欲する者は、
 先ずその国を治(おさ)む」
「その国を治めんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う」
「その家を斉(ととの)えんと欲する者は、まずその身を修(おさ)む」
「その身を修(おさ)めんと欲する者は、まずその心を正(ただ)す」
「その心を正(ただ)すと欲する者は、まずその意(こころばせ)を誠(まこと)にす」
「その意(こころばせ)を誠にせんと欲する者は、まずその知を致(いた)す」
「知を致すは、物を格(ただ)すにあり。」

「物を格(ただ)す」とは「自己自身を正す」こと。

古事記に出てくる、日本の神話の中に、
天照大神が天孫ニニギノミコトをこの国に送り出し
になられる時に、ご自分のお持ちになっておられた
御鏡(八咫鏡:やたのかがみ)を与えた。
「この鏡を見ること常に我を見るが如くせよ」と、
それは「鏡を見て知を致せ」ということ。

自分に与えられたる知をちゃんといつも正常に
保つには、日々三省する。
毎日、毎日を寝る前に振り返り、反省し明日に
つなげることなのか、
神棚の鏡を見て、心静かに、日々振り返る。

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